しんしんと雪降り積もる

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関東地方を大雪が見舞った。記録的な大雪(たいせつ)であったという。

確かに目にも眩しい残雪は、長いブーツや長靴で、やっとという高さである。

山間部はさぞ雪が深いことだろう。停電の被害も多く、降雪の日には、各交通機関に影響が出た。

雪の降るのは雨とは違って、ちょっと特殊に思われる。滅多にこういった大雪に見舞われない

場所だから言えるのかも知れないが、夜、雨が雪に変わると、窓を開けていなくてもなんとは

なしに感じる事がある。静かになるのだ。雨足自体も大したことが無くて、実際、鳴り降りという

程でない時にも、雨から雪に変わると、なんとなくだが、やはり感じるのだ。

音が消える。

感じるひとも多いと思うが、雪の時、音が無くなり、独特な静けさに辺りが包まれる感じがする。

芥川龍之介の子息に、芥川也寸志という作曲家がある。映画音楽組曲「八甲田山」などの作曲者でも

あるひとで、内外でも評価の高い作曲家である。指揮も良くしたひとであり、文章も多く残した。

その中に、休止符の間にも音楽は鳴っている。といった意味合いの言葉がある。例えば、演奏が終わ

り、作曲者が最後にちょっと音の鳴らない部分を書き残している、とする。そこには譜面で見ると、

休止符が書かれている。その間、どんな曲であろうと、ピアノ曲でも交響曲でも歌曲でも、何も音の

鳴らない瞬間が産まれるのだ。それは曲の途中だったりすることもあるのだが、そこも含めての

音楽である、と彼は書いた。当たり前のことではあるのだが、聴いている立場になると、そこを

意識しない事がある。指揮者の時の話であったかと思うのだが、拍手をするのは、音楽が終わってから

にしてほしいという趣旨のことを書いてあったと思うので、まだ音楽が鳴っている…実際には無音で

あっても…にも関わらず、拍手をするのはいかがなものか、という意味合いであろう。

休止符のような、雪の降るさまを、わたしは窓を開け、夕闇の中、音の無い世界に吸い込まれるかの

ように、不思議な心持で見ていた。

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