道を尋ねる
以前、仕事で良く電車や地下鉄を利用していた時のことである。
駅構内や、ホームで、知らない人に声をかけられる。
○○へはどうやって乗り換えればいいのですか?
直ぐ近くに制服を身に付けた駅員さんが居る。そちらに目を向けると、暇そうにしている。
何故、こちらにお訊ね遊ばすのか分からない。
分かることについてはお答えする。相手はお礼を言って目的の場所へと向かう。
自分がとっつきやすい見掛けであるとは思えない。土地のもので、良くここら辺のことは把握
していますよ、というふうに見えるとも思えない。
外国から来たとおぼしき人にも聞かれたことがなんどかある。ある時、幸い日本語で聞かれたので、
英語とちゃんぽんで答え、どうやら相手が理解できたらしいのでほっとしていると、何も言わずに
すたこら行ってしまった。ちょっと心外であった。
別にお礼を言われたいわけではないが、どこか、期待している自分がちょっと厭でもある。
切符売り場でも物を尋ねられる。乗り換え方法、いくらで行けるのか。チャージすればそのまま使える
カードを使わない、ご婦人などに多い。この手の方がたに、お礼を言われたためしはまず、ない。
別に構わないが、日本人は有難うを言わない国民なのか、と思う事もある。すみません、は良く言う。
前記で心外であったのは、有難うをいい慣れていると思っていた国外からの客人が、答えを聞いて、
あ、そう。という感じであったからだ。
自分が尋ねる場合は散々考えて迷って、疲れ果てて、これは自力では無理だというところで、恥ずかし
ながら、と尋ねる場合が多い。余りひとに道を尋ねない方かもしれない。
とはいえ、地上で、不案内な土地では起こりがちのことである。時間が決まっいると益々焦る。
某所で、機動隊の人しか、居ないのに気付き、仕方なく、近づいた。こんなことを聞いていいのか
躊躇ったが、切羽詰まっていたので、すみません、○○図書館はどのあたりになりますでしょうか?
と聞くとそのひとは、なにを自分に尋ねるんだ、このおたんこなすは。という表情を一瞬したあとで、
それでも丁寧に教えてくれた。しかしそれは、数百メートルも離れていない所にあった。
恥ずかしくて、早足でお礼を言いながらその場を立ち去った。
紫陽花の咲く庭のある、建物が連なったその場所は、内閣などがある一角である。
何年も前の話だが、思い出すたびに恥ずかしくなる自分である。