音楽の泉~ラジオ 皆川達夫解説

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モノラル放送ではあるが、音楽の泉というラジオの番組は聴ける限り聴く。

番組は皆川達夫という音楽評論家というよりは多分ルネサンス、バロック音楽の専門家が

その日にかける音楽の紹介をするという形で、たまに演奏家について触れることもあるが、

ほとんどが音楽の内容や作曲者の話で構成されている。

つい先日はモーツァルトのピアノコンチェルトとソナタなどがラジオから流れた。

言葉をはっきりとは覚えていないししたがってニュアンスが変わってしまうかもしれないのだ

けれど、古今東西、ピアノコンチェルトという分野において、ピアノという楽器をこれほど

歌わせること、その能力においてモーツァルトほどの作曲家は稀有である。

そんな趣旨の話をしていた。

楽器を歌わせる。その意味合いは、音楽を聴くひとなら分かるかと思う。

実際に演奏して歌わせる。

其の感覚の方がより分かりやすいのではないかとも思う。

皆川氏は、「曲において」歌わせる、と言っていたのだ。さて、ここである。

音楽で歌わせるとは、どういうことなのか。

簡単に説明できる話ではないが、ちょっと書いてみる。

例えば、ピアノの独奏曲であれば(ピアノのソロ、ピアノだけのための曲である)、歌うのは

大抵高い方のパート、左右でいえば、右手が受け持つ、ピアノの高音部、鍵盤を半分

に分ければ右側の方になるが、そちらで「歌わせる」すなわち、旋律を受け持つのが大抵

高めの音になるということを、少々乱暴ではあるが、ひとつの事実としておく。

ひとつの曲の中でそれが始終変わることもあれば、中音部に旋律が来ることもあるし、旋律

ではなく、伴奏なりその他の部分が歌うことも勿論あるわけだが、それは置いておく。

曲の構成ということであれば、ピアノコンチェルトというのは、オーケストラとソロピアノが

協演、考え方によっては共演であり、掛け合いあり、オーケストラが伴奏をしたり、

ピアノが黙りこくったり…まあさまざまなのであるが、そこでピアノを歌わせるとは

はたしてどういうことなのか。

その点を考えないと、皆川氏の言葉がチンプンカンプンだと思う。

ピアノの特質として、単旋律も和声もいける、ということがある。

だからピアノはオーケストラにおけるすべてのパートを受け持つことが出来るという感覚が

あって、それのみが要因ではないが、独奏曲も圧倒的に多い。

楽器として、その一楽器のみで成り立つというのは案外難しいのである。

そのようなピアノとオーケストラが共演するのがピアノコンチェルトであるから、個々に

成り立つ物同士のぶつかり合い的な面も出てくるのだ。

曲によっては派手ではあるが重厚に過ぎたり、バランスが取れなかったり、ピアノないしは

オーケストラの特質が上手く活かされなかったり、ということも良くある。

作曲家の能力、才能が大いに問われる音楽の様式ともいえる。

ピアノは歌わないとオーケストラと上手く折り合いが付かず、うるさすぎても静かすぎても

オーケストラとは釣り合えない。

そのバランス感覚の特殊かつ抜群な所が、モーツァルトという作曲家の特質のひとつでも

あり、天才であるゆえんにもなるのだが、かれの手にかかると、ピアノコンチェルトは、実に

見事なバランスでもって、書きあげられているのである。

その下地があってこその「ピアノを歌わせる」ということかと、私は自分なりに、解釈

している。

その日に聴いたのはピアノ協奏曲の第21番で、有名な第二楽章を持つ、明るさと、時折

見せる陰りの対象の絶妙な曲である。

この日の演奏はマウリツィオ・ポリーニの指揮&ピアノ独奏であった。

素晴らしい音楽を素晴らしい演奏で聴けましたね、という皆川氏の言葉で、この協奏曲と

ピアノソナタなどの小品の流れた音楽の泉は終わった。

その後、違う演奏で同じ曲を改めて聴いてみたくなり、直ぐ、CDを探しにかかった次第であ

る。

日曜は、皆川さんの音楽の泉で始まる。

そんな朝のひとこまであった。

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