言葉の無い歌

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無言歌とふつうは称される。

これはメンデルスゾーンが書いたピアノのための曲で、ドイツ語で「言葉の無い歌」

書かれたこの曲集は春の歌ゴンドラの歌など比較的良く聴かれるメロディー

とともに親しまれている。

歌詞の無い歌は、勿論他のピアノ曲であっても、メロディーが十二分に「歌う」ので

あるが、とりわけ、歌として言葉を乗せてもいいようなメロディアスなものであると

いうことなのだろうか、和声の進行も複雑な曲も見られるなか、

旋律で聴かせるタイプの曲がやはり目につくと

いう性質をとって、確か、作曲者が命名したのだと思う。

無言歌と訳してしまうとちょっとニュアンスが変わるように感じるのだが、どう

だろうか。

この作曲家は、音楽家としては珍しく裕福な家庭に生まれ、短い生涯ではあったが、

物質的に非常に恵まれていたというひとではあった。

多くの作曲家が貧困のうちに世を去っているなか、珍しいケースである。ことに

このロマン派初期ころまでの作曲家のうち、貧乏と縁の無かったといえる作曲家は

ほとんどいないような気がする。

裕福であっても彼は精神的にそれに浸食されることなく、数々の名曲を私たち、後世の

人間に遺してくれた。有り難いことである。そのうえ、彼の功績のひとつとして度々

取り上げられるのは、指揮もしたメンデルスゾーンが、ゆうに百年近くの時を経て、

バッハのマタイ受難曲を初演したという音楽史上でも重大といえる出来事である。

当時、ほとんど、バッハの作品は陽の目をみることが無かった。

バッハと同年に生まれたヘンデル、バッハの末息子、クリスチャン・バッハと親交の

あったモーツァルト、そのモーツァルトと敬愛の念を互いに持って親交したハイドン、

ハイドンとモーツァルトという二人から音楽を師事したことのあるベートーヴェンなどなど、

大作曲家たちはバッハの曲を知っていたし、少なからぬ影響を受けたという事実はあったが、

なかなか演奏をされる機会が無く、埋もれてしまったような状況であったのだ。

それを弱冠20歳のメンデルスゾーンがマタイ受難曲を指揮したことによって、

バッハの偉大さが、世にしろしめされたのだ。そんなメンデルスゾーンの歌詞の無い歌は、

彼の有名な真夏の世の夢や素晴らしいヴァイオリンコンチェルトのような大曲ではないが、

珠玉の名品と言える。

反ユダヤ主義などによって、迫害された感のある時期や、生前にもなにかしらあったような

節はあるものの、そのような事ははねのけて、今もなお、彼の音楽は生き続けている。

そんな作曲者による、「言葉の無い歌」に興味をもたれたら、是非一度聴いて頂きたいと思う。

お薦めは五月の澄み渡る青空のような、五月のうただ。

ゲーテも憧れた、光のある国、イタリアに、メンデルスゾーンもまた憧れたようだ。

その憧憬もちらと感じ取れるような、しかし、愛らしい曲である。

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